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「仮想的有能感」が減ると、思考が一歩自由に近付く

FIRE

SNSを観察していると、他人を見下すような内容を見かけることがあります。

「〇〇するやつはバカ」「自分だったら〇〇なんてしない、△△すれば良いのに」

こんな感じの内容です。

 

このような言動を一言で表すワードを見つけたので、ご紹介します。

他人を見下す若者たち」という新書に書かれていた、「仮想的有能感」というワードです。

 

他人を否定したり軽視することで、優越感に浸り、自分は優れていると錯覚すること

これが仮想的有能感です。

 

SNSの投稿上に限らず、このような感覚は大なり小なり誰の心の中に存在していると思われますが、自分の感覚の正体を冷静に分析できる人はおそらく少数派でしょう。

この感覚に陥っていることを自覚しないでいると、たとえ一時は優越感は感じても、幸福な状態から徐々に離れてしまい、知らず知らずのうちに生きづらさを抱えることになる、と想像します。

 

なぜなら、上記状態は実情に即した自己評価ではないため、当然、現実と自己評価に乖離が生まれ、それに苦しむことにいなるからです。

  

そこで本記事では

「仮想的有能感と生きづらさの関係」

について考えてみたいと思います。

 

 

「仮想的有能感」とは

冒頭で説明した通り、仮想的有能感とは、他人を否定したり軽視することで、優越感に浸り、自分は優れていると錯覚することです。

他人を見下す若者たち」では、このように錯覚してしまう背景の一つに、「自己肯定感の低さ」を挙げています。

確固たる自己肯定感がないから、他人を見下すことで(本物でない)自己肯定感を得ようとしているわけです。

これは、「自己肯定感の低さを自覚したくないが故に、自己防衛として他人を見下している」と本書では分析されています。

 

「仮想的有能感」は生きづらさの要因になる

投資界隈、FIRE界隈等では、「金融リテラシー」という言葉をよく目にします。

「金融リテラシーが高い」とはお金関係の知識に富んでいて、蓄財優等生であることを意味していますが、SNSでは、金融リテラシーが低い人を見下すような投稿を目にすることが多いです。

 

典型的なのが「持ち家、保険、車、投資」についてです。

「これらを契約、保有している人は金融リテラシーが低い。俺は金融リテラシーが高いから持ち家にしないし、無駄な保険は契約しないし、車も持たない。投資もしている。だからお金を貯められているのだ。」

だいたいこんな感じの内容で、自分が比較対象よりいかに優れているかを説明しているようにも見えます。

 

これはまさに「仮想的有能感」そのものです。

自分と関係のない赤の他人の選択を否定し、相対的に自己評価を高めることで、(本物でない)自己肯定感を得ている、と分析できます。

 

そんな彼らは、実は生きづらさを抱えているのではないか、と私は考えています。

もし、高めた金融リテラシーで有意義な人生を送れているのであれば、他人を否定する必要なんてありません。

自分の楽しみを持っている人は、その楽しみのことで頭がいっぱいになり、わざわざ時間を使ってまで(その楽しみの時間を削ってまで)、自分がいかに優れているかを証明する必要なんてないからです。

金融リテラシーが高い方が人生が有意義になることを勧めたいのであれば、発信内容を工夫し、もっと受け入れやすい言葉を選ぶのではないでしょうか。

 

上記の通りであれば、彼らがすべきなのは他人を否定することではなく、自分を分析し、自分の楽しさを見つけることではないかと考えます。

そうすれば、自ずと自己評価(人生の満足度)が上がり、生きづらさは減っていく方向に進むはずです。

 

(念のために記載しますが、私は彼らのことを否定したいのではありません。観察結果を淡々と書いているだけです。)

 

自分の中の「仮想的有能感」を見つけよう

「仮想的有能感」を持ってしまうのは、否定できる対象を見つけたら自己評価を上げようとする「思考の不自由さ」に起因していると思われます。

他人を見下す若者たち」にも記載がありますが、見下してしまうのは無意識的に行ってしまう場合がほとんどなのです。

逆に言えば、他人を見下してしまったとき、または見下しそうになったときにそれを自覚できれば、思考が一歩自由に近づくはずです。

 

金融リテラシーに限らず、他人を否定して見下す行為は大なり小なり誰でもしてしまうことです。

人間の脳の構造上、そのようにできているのだと思います。

だからこそ、自分を常に観察し、心の動きに敏感になることが大切です。

そのようにして、自分の中の「仮想的有能感」を見つけることができれば、少しずつ生きやすくなっていくと考えます。

 

まとめ

  1. 他人を見下す行為は自己防衛に近い
  2. 「仮想的有能感」は生きづらさに繋がる
  3. 「仮想的有能感」が減れば自由な思考に近づく

 

私自身「仮想的有能感」を得ている場面はもちろんゼロではありません。

無意識下のほんの一瞬の心の動きを含めれば、しょっちゅうあるはずです。

これをゼロにすることはたぶん出来ませんし、する必要はないと考えています。

 

ただ、「仮想的有能感」のような生きづらさの要因を1つ1つ自覚していこうとする意識が、長い目で見て幸福感であったり豊かさに近づいていくのではないかと思うのですが、いかがでしょう。

 

 

以上、終わりです。

 

 

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