働いていない生活が1年以上続いて思うこと

FIRE

X(Twitter)ではポストしていないのですが、育休生活が一年経過しました。

子どもが保育園に受からず、更に育休を半年延長することにしたため、一年経過した現在も働いておりません。

 

FIRE後の自身の生活を想像するにあたり、働いていない今の状況で思うことを記録しておきたいと思います。

 

働いてはいないが、だいぶ忙しい

3人の幼児を子育て中という特殊な状況下ではありますが、とにかく毎日やることが多いです。

朝から晩まで(時には深夜まで)、子育てや生活に関して何かとやることがあります。この辺は子育て経験がある人には説明不要でしょう。

 

しかも、子育てには強制力が伴います。

親という立場上、その責任を放棄することはできません。

 

「強制力」「責任」というとネガティブな印象がありますが、必ずしも悪いことではないと私は考えています。

目標を達成するためには、ある程度の強制を自分に課すことが有効ですし、責任があるからこそ得られる喜びもあるはずです。

実際、「強制力」と「責任」が伴う生活は苦労が絶えない反面、充実感も計り知れないものがあります。

 

FIRE後の生活はこの辺が鍵になるのかもしれません。

全てが完全に自由で何もしなくて良い状態は短期間なら快適かもしれませんが、長期的に見ると生きる活力を失うことになりそうです。

 

身近な例でいうと、自治会か何かのボランティアで子どもたちの登校時間に見守りをしてる年配の方を見かけることがありますが、あれも「強制力」と「責任」を伴います。

忙しい人からしたら面倒な役割ですが、時間がある人にとっては社会との接点や生活リズムを保つにはちょうど良い役割なのかもしれません。

実際、彼らは役割や居場所がない人よりも活力があるように見えます。

 

時間に余裕のあるFIRE後は、自ら強制力と責任を伴った何かを始めてみても良いかもしれませんね。

 

時間がある分、生活を丁寧にしたくなる

忙しいと書きましたが、働いてないので時間はたっぷりあります。

この感覚も子育て経験がある方はわかると思いますが、やることは沢山あっても細切れの隙間時間もまた多く発生するのです。

すると、生活における細かい「不」に気が付き、改善する気も湧いてきます。

部屋の整理整頓、所持品の棚卸し、健康的な食生活、自分の状態を客観視するなど、余裕がない時には後回しにしがちなことに自然と目がいくようです。

 

働いているときは優先度が高いことが他にあるので、見て見ぬ振りをしていたのかもしれません。

見て見ぬ振りが積もり積もって大きなストレスになり、QOLを下げていたようです。

 

FIRE後は時間に余裕ができるため、不快や不満にその都度対応できるので、生活に満足しやすいんじゃないかと思います。

 

子どもがいると自分が元気なうちは暇しない

子どもがいると実家に帰る機会が増えます。

正月やお盆、GWだけでなく、子の誕生日やちょっとした用事でも帰ります。

実家に帰るだけで「孫に会わせる」というプラスのイベントになりますし、いざという時に助けてもらいやすくなるため、独身のときより帰るモチベーションに繋がるからです。

(共働きだと親の助けが必要な場面が多々あるので、日頃会ってることが優位に働きます。)

 

これは祖父母サイドからしたら、イベントが向こうからやってくるようなものです。

「祖父母」という役割がある状態で定期的にイベントがやってくるので、祖父母サイドはあまり暇しません。(義両親の方は孫が7人いる尚更そう思います。)

 

よく「FIRE後は暇になる」という意見を見かけますが、子どもが複数人いて、夫婦仲が良い方にとってはあまり関係がない気がします。

結婚せず、子どもを持たない人が増えているとはいえ、3人子どもがいれば確率的に1人くらいは結婚しそうなものです。

 

かなり他力本願な考えですが、子育てを頑張っていると、FIRE後の人間関係や楽しみの一部は向こうからやってくる可能性が高いんじゃないかと思いました。

(結婚するかしないか、子どもを持つか持たないかは完全に個人の自由であり、子どもに意見することはしません。何が幸せかは本人が決めることですが、幸せな子ども時代を送れていたり、両親の仲が良い場合は、自ずと親に近い人生設計になるのかなとも思います。)

 

まとめ

育休で一年も働いていないと、多くの人は「そろそろ働きたいな」と思うみたいですが、私の場合はその手の気持ちは一切湧きませんでした。

会社での評価や地位、何かを成し遂げるといったことにはこの一年興味が湧かなかったので、社会人としての適性があまりないみたいです。

私にとっての仕事は、どこまで行っても「生活の維持と自分のやりたいことの実現」でしかなく、手段であり目的ではないことがよくわかりました。

自分の感覚を無視して、「やりがいのある仕事」という幻想は追い求めず、仕事で得たお金でやりたいことを少しずつ実現できればそれで十分幸せかなと思います。

逆説的ではありますが、やりたいことを実現する手段として仕事をしていれば、「やりたいことを実現するための過程」として仕事の一部を楽しめるかと思います。

 

以上、終わりです。

 

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