橘玲氏の幸福の資本論によると、幸福は「金融資産」「社会資本(人間関係)」「人的資本(稼ぐ力)」によって説明できるようです。
この3つのうち、最低でも2つ揃えば幸福になれるとのことなのですが、FIREできるような資産があって、深く付き合える友人が複数人いても、人的資本がゼロだと精神衛生上良くないのではないか、と最近思い始めました。
人的資本で人の価値は決まらないが、価値の一部ではある
支出を最適化し、収入を増やし、可能な限り投資を行った先に経済的自由を手に入れたとしても、仕事を辞めてしまえば、ただの一個人として世界に投げ出されてしまいます。
会社の仕事こなしていれば毎月一定の給料が支払われる日々だったのが、退職を機に一変し、資産からの所得で生活費を賄うことになります。
冷静に想像するとこれは結構恐ろしいことです。
今まで収入は(雇われてるにせよ)自分のコントロール下にあったのが、資産からの所得は(銘柄選定や売買タイミングなど自分でできるにせよ)ある意味コントロール外になってしまうのです。
考え方によっては、自分の力で生きているのではなく、他人(世界)の動向に左右されて生きていくことになります。
するとなんだか自分はか弱い存在に思えてくるのではないか、と想像します。
相場がイケイケの時は自信満々でいられるかもしれないけど、下落局面だと途端に自分に自信がなくなりそうでなりません。
3つの資本のうち2つが揃えばそこそこ幸福といいますが、やはり極端は良くない気がします。
若いうちは周りと比べやすい
「人生お金よりも大切なことがある」
そう思ってFIREしたとしても、ふとした瞬間に世間一般と自分を比べてしまうのが人間というものではないでしょうか。
FIREを目指している人は世間体など気にしない(と自分では思ってる)人が多いと思われますが、目指しているのと実際に実行するのでは雲泥の差があると考えます。
FIREは同世代がバリバリ働いている中辞める選択することですが、最初の頃は自由を謳歌していても、世間の情報は嫌でも入ってきます。
昇進昇格、キャリアアップで給与や社会的地位を上げていく同世代と比べると、自分は何か成長しているのだろうか?人に誇れるものはあるだろうか?と考えるようになる可能性は充分にあります。
そんな時、自分の能力やなんらかの努力で稼げていないと、自尊感情にヒビが入りそうでなりません。
特に、男性は一般的に稼げている方が優れていると思う節があるので、稼げていない自分を低く評価することになるのではないでしょうか。
これが60代であれば周りも同じようなものなので、比較することは減りそうですが、30代〜50代辺りでは他人との人生に違いが生まれやすい分、周りと比べてしまいやすいように思います。
必要なのは事前に悲観的な想像をすること
このように考えると、FIRE後もある程度稼げていることが望ましい気がしますし、逆に考えると、稼ぐことに時間を使い過ぎてしまい、FIREした意味が薄れてしまう気もします。
ただ、ここで重要なことは「そうなる可能性がある」と想定しておくことです。
様々な可能性に備えておくことで、傷は浅く済みます。
「予測は不可能、準備は可能」というやつです。
「FIRE後は何もかも完璧ハッピー」と楽観的に考えることは酔っ払っていてもできますが、悲観的な想像は頭を働かせなくてはできません。
あらゆる可能性を想定し、そうなった場合どうするべきか、そうならないためにどうするかを入念に考えておくことで、理想の生き方がデザインされていくのだと思います。
まとめ
「人的資本の有無によって自信が揺らいだり、世間体を気にしてしまうのであればREは向いていない」と考えるのは短絡的です。
あくまで思考実験での話なので、自分がリタイア後どんな状態になるのか、可能な限り考えておくのが良い、という話が主眼になります。
もし、人的資本ゼロの状態が精神に悪影響を与えるとすれば、リタイア後でも維持できるような人的資本を用意しておくか、精神が揺るがないほどの内省をしておくか、現役時から趣味を充実させておくなど、別方向からのアプローチも可能です。
悲観的に考えすぎてネガティブになるのは本末転倒ですが、「備えあれば憂いなし」の精神で、可能な限り事前に考えておきましょう。
以上、終わりです。
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