SNSが発達した昨今、承認欲求はしばしば悪者扱いされます。
承認欲求が強いと見栄が生まれて、他人軸で生きることになり、それが生きづらさに繋がっていくためです。
ところが、私の実感として、承認欲求が弱すぎるとそれはそれで困ったことになるような気がいたします。
とりわけFIREを目指す過程ではある程度の承認欲求がないと、目標資産到達前のリタイアに繋がりかねません。
なぜなら、承認欲求なき勤め人生活では、長い蓄財レースを走り抜けるだけのモチベーションを維持できないためです。
本記事では上記について掘り下げて考えてみたいと思います。
承認欲求はモチベーションの源泉になり得る
承認欲求はマズローの欲求5段階説で言う上から2番目の高次元な精神欲求です。
「認めてほしい」と思うことで努力して能力を磨いたり、信頼を得られるような言動をしたり、見た目を気にするようになります。
承認欲求があることで、集団内での自身の価値を高めることに繋がり、社会的経済的成功に近付きやすくなると思われます。
これが回り回って仕事のモチベーションに繋がったり、自己実現に繋がるのです。
このように、SNSではしばしば悪者扱いされる承認欲求ですが、デメリットばかりの欲求ではないのです。
承認欲求がないと仕事に対する無関心に繋がる
では承認欲求がない(弱い)とどうなるか。
嫌われてもいいし、窓際でも良い。給料分は働くから、それ以上の何かは求めない。
こんな風に仕事に対する無関心に繋がるのです。
他者に認められなくて良いと考えると、集団内での自分の価値が下がっても痛手が少ないと感じ始めます。
この状況が働きやすいかと言えば、おそらくそんなことはありません。
SNSでは窓際でいること、最低限の労力で働くことを自ら肯定する人がいますが、そのような自己評価は長くは続かないと予想します。
低いモチベーションで働いていることは周りも気づくものなので、当然良くは思われません。
上司、同僚、部下後輩から信頼されない、低く見られることに繋がり、決まった給料は貰えたとしても仕事がしづらくなります。
相談できない、困ったときに助けてもらえない状況になってしまうと、普通の業務遂行が緩やかにしづらくなる、つまり自分で自分の首を絞めることになるのです。
一時期ベストセラーになっていた「嫌われる勇気」では、承認欲求を否定し、他者の期待になど答える必要はないと述べられていますが、これを実践してしまうと無関心で無愛想、傍若無人な勤め人が出来上がってしまいます。
やはり、承認欲求はある程度必要なのです。
無関心で仕事をできる期間は長くない
強いFIRE願望がありつつ、承認欲求が弱い人はどうなるか。
SNSを見る限り、そのような人は概して現在の状況に苦しんでいるか、低資産で退職しがちです。
承認欲求の弱さはFIRE願望の増幅に繋がるので、それが予定より低い資産での退職を決行させてしまうのです。
また、低資産でFIREした人の多くは現状を肯定する発信をする傾向があります。
それが本心なのかどうかはわかりませんが、私には自身を客観視できていないように映ります。
退職して数ヶ月は楽観的で居られるかもしれませんが、長期目線で見るとどうでしょう。
嫌な労働から一時的には解放されますが、持続性はなく、お金の問題が生涯付きまとうことになりかねません。
十分な資産なき退職では、不安やストレスが別の形になって替わるだけなのです。
そのように考えると、愛想よく、好感がもたれ、他者に承認されるような働き方を取り入れる方が結果的に満足のいくFIREができるように思えます。
職場が居心地の良い空間になるよう努力して、自身の運用期間を伸ばし、ある日突然退職する方がクレバーな選択と言えそうです。
まとめ
FIRE願望があり物欲もあまりない人は承認欲求が弱い傾向があるように観察されます。
そのような人に「承認欲求があった方が良い」というのは何か違う気がするのですが、意識くらいはしてみてもいいかもしれません。
ちょっとした心掛けで案外働きやすくなったり、ストレスが減ることもあります。
承認欲求に限らず、そんな小さな改善の積み重ねが自由の獲得に繋がると私は考えています。
以上、終わりです。
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