そんな方向けの記事です。
- 理不尽に怒られる
- 満員電車に揺られる
- お出かけ日和なのに仕事
こんなことがあると、ついつい反射的にFIREしたくなりますよね。
私もよく反射的にFIREしたくなるので、とてもよくわかります。
人生、できることなら嫌なことなんて避けて、毎日楽しく自由に暮らしたいものです。
しかし、「反射的なFIRE願望」が頻繁にあるような場合は、注意が必要だと私は考えています。
「FIRE願望」は目標を明確にできている点で悪くないと思うのですが、「反射的」は
- 機械的
- プログラミング的
- 思考停止
とも言い換えることができ、あまり良い状態とは言えません。
この「反射的」という部分。
反射的になってしまう理由を一つ挙げるとしたら、もしかしたら「認知の歪み」が理由の一つかもしれません。
(「認知の歪み」=「物事の捉え方」に「歪みがあること」)
本記事では
という本を参考に
「認知の歪み」が「FIRE願望」にもたらす影響
について考えたいと思います。
非行少年たちは認知が歪んでいる

「ケーキの切れない非行少年たち」に面白い記述がありました。
(非行少年たちは)『世の中のすべてが歪んで見えている可能性がある』という記述です。
本書では、少年院に入るような非行少年の中には「反省以前の子どもがいる」と述べられています。
認知力が低く、「ケーキを等分に切る」ことすらできない非行少年が大勢いるとのことです。
彼らにやや複雑な図形を模写してもらうと、全く異なる図形が出来上がります。
目が合っただけで、「喧嘩を売られた」と思ったりと、物事の捉え方(見方)が歪んでいることがよくあるそうです。
学校では「やる気がない」「不真面目だ」で片付けられてしまった彼らは、そもそも発達障害や知的障害を持っている場合も少なくないと言います。
そんな彼らは物事を正しく認識できない、自分がやったことの意味が理解できない、だから反省もできない。
そんなことが「ケーキの切れない非行少年たち」には書かれていました。
さて、FIREと「ケーキの切れない非行少年たち」、一見関係のない話題のように思えます。
しかし、「非行少年たち」を「FIREを目指す人たち」に置き換えて考えることもできるなと、本書を読んでいて思いました。
つまり、私たちがFIREを目指せば目指すほど、思考や行動がFIREに最適化してしまい
世の中が歪んで見えてしまう可能性があるのではないか
そのように思いました。
認知が歪んでいるパターンの「FIRE願望」

「FIRE」という生き方、選択を知ってしまったが故に認知が歪む、世の中が歪んで見えてしまう。
そのような経験、心当たりのある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
よく、FIREという生き方を知って「価値観がガラッと変わった」という文言を目にします。
これはある意味、認知が歪んだ瞬間かもしれません。
他人(世の中)に対しての認知の歪み
- 投資していない人を諭そうとする
- 定年まで働く人を思考停止だと考える
- 家、車を所有する人を見下す
このような思考、行動は既に認知が歪んでいると考えていいかしれません。
人それぞれ価値観が違えば、何が正義かも人それぞれ違う。だから選択も違う。
自分とは違う価値観、選択に対して主観で捉えて批判的になるのではなく、もっと抽象的な部分を考えるきっかけにするくらいがちょうどいい距離感だと思うのですが、いかがでしょう。
自分に対しての認知の歪み
もちろん、自分に対しても同様です。
- 会社に行くのがバカらしくなる
- お金を使って楽しんでいたものが楽しめなくなる
- その他、極端な思考になる
実際にこのように感じているとしても、それは「FIREという名のフィルター」を通して物事を見ていることに起因している可能性があります。
- FIREを目指していなかったら、もっと意欲をもって仕事をしていたかもしれない
- もしかしたら、今お金を使った方が人生を謳歌できるかもしれない
時より、こんな視点を持って見ても面白いと思います。
自分が今現在望んでいない姿を想像することで、物事を客観的に捉えることができます。
「FIREしたい」という思いは本当でも、「FIREしないと自由になれない、幸せじゃない」という考えであれば、もしかしたらその考えは思い込みの可能性もあります。
たとえ自由を目指しているとしても、思い込みは自分を縛り、不自由にします。
「FIREという名のフィルター」を通すと、自分に都合が良いように世の中を解釈してしまいますが、もっとフラットに物事を捉えてもいいのではないでしょうか。
そのような捉え方の方が「自由側」の思考だと思います。
【関連記事】
認知が歪むとFIREしたい理由を探す?

長くなってしまうので、少しだけ。
「FIREしたい」という思いが強くなり、認知が歪むと、「FIREを正当化し過ぎてしまうのでは?」と私は考えています。
何か嫌なことがあり、反射的にFIREしたいと感じ、「やっぱり、自分はFIREしたいんだ」と納得する。
つまり、自分の願望(FIRE)に説得力を持たせるために、後付けで新たな理由を探している状態と言えます。
願望(FIRE)を補強するような出来事を無意識に探してしまう。
このような状態になると、柔軟な発想をすることが難しく、「FIREに囚われてしまう」という状態になりかねません。
「反射的なFIRE願望」にはそのような危険性もあると考えます。
まとめ
- FIRE願望が強いと認知が歪む
- 認知が歪むと自分自身を縛る
- 認知が歪むとFIREを正当化する
本記事では、「認知の歪みがFIRE願望に与える影響」について考えてみました。
FIREに囚われすぎず、もっとフラットに物事を捉える
これができると、今よりもさらに生きやすくなるのではないかと思います。
本記事で紹介した「ケーキの切れない非行少年たち」はFIREに直接関係がないですが、お子さんがいらっしゃる方や人間関係に悩んでいる方には、何かしらの参考になるかと思います。ご興味がある方は、是非読んでみてください。
本記事が何かの参考になれば幸いです。
以上、終わりです。
コメント
願望だけでなく、すでにFIREした人の自己正当化にも使われている例が散見される。
どこかにセミリタイアといわれていたころの劣等意識を抱えているのではなかろうか?