私がFIREした場合、バイトや個人事業をする気はありませんし、何かしらのコミュニティに属する気はほぼありません。
アクティブに外に出て遊ぶ感じでもありません。
規則正しい生活をして健康的な食生活をし、部屋や庭で楽しめる趣味を嗜み、読書とコーヒーを日課とする日々を理想としています。
これはたぶん「隠居」と呼ばれるもので、外から見たら何をやってるのかわからない人に映るじゃないかと思います。
一般的に「定年退職後=老後」というイメージがありますが、私が理想としているFIRE像は老後のイメージと大して変わりません。
アクティブで社交的な人からしたらつまらない生き方だと思われる気がしますが、エネルギー少な目な人にとっては心地良い生き方になるはずです。
本記事では私が理想とする生き方について考えをまとめてみました。
積極的に人と関わるより一人で楽しみたい
昔からの友人であったり、趣味が同じ人との関わりは楽しいものですし、人生を彩る要因になると思います。
ただ、私なような社交性が乏しい人間にとって、他人と関わることはエネルギーの消耗に繋がります。
エネルギーの消耗は何も悪いことばかりではないのですが、その機会と時間が増えてしまうとやっぱり疲れてしまうのです。
人との関わりで得られるモノについての理解はあるつもりですが、(家族との関わり以外では)人生のメインにはならないと感じています。
それに比べて趣味の活動はいくら続けても活力は落ちません。
体力が消耗することはもちろんありますが、続けたからといって精神的に疲れることはありません。
やればやるほどアイデアが湧いてきますし、次にやりたいことで頭がいっぱいになってくるほどです。
そう考えると、積極的に人と関わろうとする人になるより、自分の活動に熱が入っている寂しくて孤独な人の方が理想的です。
自分の趣味の活動を一人淡々と、黙々と続けつつ、その様子を記録、発信することでたまに人と関わるくらいが、私な場合ちょうど良いバランスだと感じます。
FIRE後になぜ働こうと思うのだろうか
FIRE後も健康のために少しだけ働こうと考える人がいます。
確かに、ある程度の労働は健康に良い場合があります。
生活リズムが整う、人とコミュニケーションをとれる、通勤や労働が軽い運動になる、頭を使う、などがそうです。
しかし、これらは労働でなくても得られるモノであり、わざわざ労働という形を取る必要はありません。
生活リズムは自分を律すればいいし、人とのコミニュケーションはFIRE前から大切にしておけば困らないでしょうし、筋トレや散歩、何かしらのアウトプットで体と脳を使えば良いのです。
わざわざ時給労働で時間を投げ売りする必要なんてありません。そんな時間の使い方をしたくなかったからFIREを目指してるのではないのでしょうか。
そのような考えから、私はFIRE後に仕事なんてする気はありません。
FIRE後はお金にならないことに熱中するか、それ以外は、のんびり過ごしたいのです。
仕事でできた人間関係は基本いらない
仕事を辞めると人付き合いが減る、という話があります。
それはそうで、元々人付き合いが少ない人にとって付き合う人数は1/10にも1/20にもなるかと思います。
でも、これって悪いことですかね。
私はむしろ心地良い人数に減ってくれるメリットの方が多いんじゃないかと思います。
と言うのも、現代人は無駄に人付き合いが多く、人付き合いのために時間とお金を浪費してる感があるからです。
仕事での付き合いなんて最たるモノで、仕事という共通の話題があるからコミュニケーションが発生してるだけで、それが人生に必要だったわけではありません。
仕事を辞めてしまえば関係性は基本ゼロになりますが、それはそもそも気にすることではないと考えます。
人は今ある人間関係をなくすことを心配しがちですが、プライベートでの人間関係のみ考慮に入れればそれでいいのです。
もしFIRE後に人との繋がりを求めるのであれば、FIREをするはるか昔から仕事以外で良い人間関係を作っておく必要があると思われます。
大人になってからも共通の趣味などで友人を作ることはできそうですが、人間関係が必要な人はそこに期待しない方が無難です。
まとめ
橘玲氏が「幸福の資本論」で幸福を決定づける要素の一つに社会資本(人との繋がり)を挙げていますし、それは私も実感しています。
しかし、社会資本を仕事と結びつけるのはリスキーだと私は考えます。
仕事を辞めてしまえば人的資本(働いて稼ぐ力)と共に社会資本も失われてしまうからです。
以前は「FIRE後に軽い労働をするのもアリかな」と思っていましたが、考えれば考えるほどいらない気がしてきます。
以上、終わりです。
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