「仕事向いてないしFIREしたい」は努力不足か、遺伝的要因か

FIRE
仕事向いてないし、さっさとFIREしたい

そんな方向けの記事です。

 

FIRE願望を持つ理由の一つに「仕事が向いていないから」があると思います。

人と競争することが苦手、コミュニケーションが苦手、1日8時間週5日の労働が体力的、精神的にキツイ、、、人それぞれ様々な問題を抱えているものと想像します。

 

ここで重要なのは、その問題の原因を正しく認識することです。

原因を大別すると

 

  1. 自身の努力不足
  2. 遺伝子レベルで適性がない

 

のどちらかに当てはまると思われます。

 

適性にはさほど問題なくても努力不足が原因の場合はありますし、逆に努力はしていてもそもそも適していないから結果が出ないなど、いろいろなパターンがあるはずです。

いずれにせよ、問題の原因を正しく認識できていないと、問題が解決しないばかりか、問題が更に大きくなることにも繋がると思われます。

 

そこで本記事では

「仕事向いてないし、さっさと辞めたい」の原因をどう考えていくべきか

について考えてみたいと思います。

 

(※本記事は「日本人の9割が知らない遺伝の真実」という書籍から着想を得ています。参考までに。)

 

 

努力よりも遺伝的要因がボトルネックになるが

努力すれば誰でも東大に入れる。

努力すれば誰でもウサイン・ボルト並みに早く走れる。

そんなことはあり得ない話で、どんなに努力しても、生まれ持った能力の限界(遺伝的要因)を超えることはできません。

 

同様に、「今の仕事に向いているかどうか」の判断にも能力の限界(遺伝的要因)が付きまといます。

生まれながらに適性がある(遺伝的に優れている)人にとっては何ともないことでも、適性がない人は努力しても周りに追いつけないなんてことは往々にしてあるはずです。

 

したがって、「向いていない」と判断している時点で、少なくとも遺伝的に能力が優れているわけではなさそうです。

もともと優れているのであれば、「仕事向いていないし、さっさとFIREしたい」と考えるほどはならないと思われます。

 

ここまでの話はごく普通の話で、誰もが感覚的にわかっていることでしょう。

ここで考えるべきは、「自分は遺伝的要因の限界になるまで努力をしたのか」という点です。

仮に、絶望的に向いていないことであれば、どんなに努力したところで人並みにすらなれない場合もあるはずです。

もしそこまでではないのであれば、「向いてはいないが、やれなくはない」くらいにはなれるかもしれません。

 

遺伝的要因が能力の限界を決めるとしても、その中で自分はどの程度努力してきて、遺伝的要因の観点からあとどれくらいで限界が来るのかを冷静に分析できれば、次にとるべき行動がより的確になるはずです。

 

努力にも適性がある

とはいえ、何んでもかんでも自身の持つ能力の限界まで努力しろ、という話ではもちろんありません。

適性がないことに労力を割き過ぎても非効率ですし、そもそも、努力自体にも適性があります。

 

どうしても頑張れない人たち」には様々な要因により、頑張ることそのものができない人たちの存在が描かれています。

 

 

はたから見たら怠けているようだったり、もう少し頑張ればいいのにと思うような人でも、環境要因や遺伝的要因の関係で、本人からしたらもう十分やっている場合もあるのです。

どうやら、「仕事が向いていない」という状態は、「石の上にも三年」のような「精神論」でどうにかなるような単純な話ではなさそうです。

 

前項では「能力は遺伝的要因がボトルネックになる」と書きましたが、遺伝的要因がボトルネックになる前に、「努力すること」がボトルネックになっている人も少なくないかもしれません。

 

では、「向いていない」は遺伝的要因が原因か

「(今の)仕事の適性は遺伝的要因である程度決まっている」

「努力できるかできないかは遺伝的要因が絡んでいる場合もある」

 

上記が正であるとすれば、人によっては「仕事が向いていないのは遺伝的要因によるものだ」と結論づけることも可能ですが、それは時期早々かもしれません。

というのも、仕事に必要な能力は1つだけではなく、その時々によって複数の能力を必要とされるからです。

仕事全体を見て「向いている」「向いていない」を判断するのではなく、仕事内容を細分化し、それぞれにおいて適性の有無を判断することが必要でしょう。

 

必要な能力すべてにおいて適性がないと判断するのであれば、「仕事が向いていない」は遺伝的要因と考えても良いかもしれません。

もしそうでなければ、何か一つでも適性がある(向いていなくはない)のであれば、そこに突破口があると思うのです。

 

Dark Horse 「好きなことだけで生きる人」が成功する時代」には「小さなモチベーション」を見つけることが成功の鍵、という趣旨の内容が書かれています。

 

 

ほんの少しでも適性があることを見つけ出し、「小さなモチベーション」にすることで、成功するとまではいかなくても「仕事向いてないし、さっさとFIREしたい」という状態ではなくなるかもしれません。

もしくは、自分の適性に合った環境(仕事)を探し出す事も可能かと思われます。

 

このように考えていくと、「(今の)仕事が向いていないのは遺伝的要因もあるが、努力不足の面もある」と事実を客観的に捉えるのが良いのではないか、と私は考えます。

 

仕事全体を「向いていない」と判断するのは簡単ですが、それは「自分の適性を冷静に分析し、次に繋げる努力」をした後にするべき判断です。

(努力できるかどうかにも適性があると書きましたが、「仕事が向いていないからFIREを目指す」という選択ができているのであれば、努力することの適性はあると思われます。)

 

まとめ

  1. 仕事が向いていないのは遺伝的要因もある
  2. 努力できないのには理由がある場合もある
  3. それでも適性を探していく努力は必要

 

「努力不足か遺伝的要因か」と白黒はっきりさせるのではなく、あらゆる可能性を模索する努力をしながら、FIRE以外の道も同時並行で探るのが良い、と私は考えています。

 

自分はこれができない、自分にはこれしかない、といった白黒はっきりさせる態度は、場合によっては自分の自由を縛ることにつながると思うのですが、いかがでしょう。

 

 

本記事を考えるきっかけになった本たちを下記に添付して終わりにします。

 

 

以上、終わりです。

 

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