仕事が嫌な理由の一つは、「お金の価値が低いから」かもしれない

FIRE

無駄に働くことになるくらいだったら、お金は極力使いたくない

そんな方向けの記事です。

 

「仕事に時間が奪われて人生不自由になるくらいだったら、極力支出を抑えたい」と考える気持ち、非常によくわかります。

支出を抑えることで辛い仕事から早く解放されるなら、そちらの方が幸福度が高いような気がしてきますからね。

 

一方で、「極力お金を使いたくない」と考える理由を別の視点で考察してみると、どうも「仕事が嫌だから」だけでは片付けられないように思えます。

仕事の対価(お金)を有効活用(楽しい体験に交換)できているのであれば、仕事はやりたいことをやるための手段として認識できるため、仕事自体は嫌でも、何とかして継続する道を選ぶかもしれません。

この場合、「極力お金を使いたくない」とはならない、と思われます。

 

逆に、仕事で得た対価を楽しい経験に交換できていないとしたら、これほど辛いものはありません。

自分にとってそこまで価値のないもの(お金)と交換するため、自分の時間と労力を捧げていることになるのですから。

 

そのように考えると、仕事が嫌な理由はお金の使い方にも原因がある、とも言えるのではないでしょうか。

 

 

そこで本記事では

「お金の使い方」という視点から、「仕事が嫌な理由と対策」は何か

について考えてみたいと思います。

 

お金を価値(楽しさ)に変換するのが苦手?

仕事とは、自分の時間と労力を捧げる対価としてお金を得る行為のことです。

この価値交換を自身が認め、納得しているから、(今の所)仕事を続けているのだと思います。

 

とは言え、生きていく上でお金が必要不可欠な以上、「働かない」という選択肢を持っている人はかなりの少数派です。

したがって、価値交換を認めてはいるものの、「働かざるを得ない」のが実情、と言えるでしょう。

 

さて、誰もが「働かざるを得ない状況」の中、「極力お金を使いたくない」と考えている人は、何故そのように考えるのでしょうか。

1番の理由は、「自分の時間と労力」と「お金」の価値交換が成り立っていないからだ、と推測します。

 

これは、「自分の時間と労力に見合った金額を得られていない」という意味ではありません。

得られたお金を、「自分の時間と労力に見合ったモノ(価値)に変換できているか」という意味です。

 

仮に、働かざるを得ない状況で仕事が嫌だとしても、得られたお金の一部を「価値」に変換できているとしたら、「極力お金を使いたくない」という発想にはならない、と思われます。

お金を「価値」に変換できる人にとって、お金を使わず溜め込みすぎる行為は宝の持ち腐れとなり、非常にもったいない行為となるからです。

 

要するに、「仕事が嫌」かつ「お金を極力使いたくない」のは、今と今後を生きていくのに必要なお金だけを稼いでいるからであり、楽しいことに使えていないから、と分析しています。

 

仕事の苦を打ち消すくらい「楽しさ」を作れるか

前述の「楽しいことに使えていない」とは、どのような状態なのか。

おそらく

 

  1. 楽しいことはあるが、我慢している
  2. そもそも、楽しいことが何か分からない

 

このどちらかに大別できると思われます。

 

前者であれば、さほど問題はありません。考え方を切り替えるだけで、楽しいことにもお金を使えますし、今は我慢してるけど、後々楽しもう、といった計画を立てることも可能です。

稼いだお金の一部を、自分が心から楽しいと思えるコトに使えれば、ある程度「仕事が嫌」という考えは小さくなると思われます。

この場合、お金を使ったことによって結果的に長く働くことになったとしても、お金を楽しさに変換することで日々が充実する方向に進むのであれば、十分元は取れる計算になります。

 

問題なのは後者です。

後者に関しては、生き方そのものを時間をかけて深く考える必要があります。

長らく欲望に蓋をしてしまったのか、人の目を気にして生きてきてしまった結果なのか。いずれにせよ、良い状態とは言えません。

 

「自分は何を楽しいと感じるか」が分かっていないと、いくらお金が増えたところで、その数字には、生きていける年数が増える以上の価値は生まれない、と考えます。

それはそれで大切なことではありますが、しんどい思いをして働いた結果としては無味乾燥で、それこそ何のために働いているのか分かりません。

 

「楽しさ」を作れれば、仕事の意味は変わる

楽しいと思えることにお金を使ってこそ、お金に価値が生まれますし、その価値を間接的に生み出している仕事の意味合いも変わってくる、と思われます。

 

最近では、仕事にやりがいを求めている人が多いように観察されますが、仮に仕事そのものにやりがいがなくても、仕事以外に「楽しさ」が存在すれば、仕事自体が「楽しさ」を生み出す手段になり得ます。

「生きる手段としての仕事」と違って、「しんどいけど、楽しいことをやるためには致し方がない。ちょっとくらい我慢して働くか。」くらいのモチベーションは保てるはずです。

仕事は時間と労力を捧げてお金を得る、という構図からすると、こちらの方が、やりがいを求めるよりも自然な気がするのですが、いかがでしょう。

 

 

ここまでの話をまとめます。

仕事以外の場でいかに「楽しさ」を生み出すか、その「楽しさ」にお金がかかるのであれば、可能な範囲でお金をかけること。

そのようなお金の使い方が、嫌な仕事に対する対策になり得る、と考えています。

これは、私の実体験からそう思うのです。

 

まとめ

  1. 仕事が嫌な理由は「お金の使い方」にも原因がある

  2. お金を稼ぐ目的が「楽しさ」であれば、仕事の意味が変わる

  3. 自分の「楽しさ」を知ることが大切

 

仕事が嫌な場合、倹約等で早く辞められる状態を作ることに集中する方をよく見かけます。(私もそのタイプです)

 

しかし、視点を変えてみれば、色々な方向からアプローチすることが可能であることに気が付くはずです。

 

視点を多く持ち、使える手段は使っていく方が豊かな人生に近付くと思うのですが、いかがでしょう。

 

 

以上、終わりです。

 

【関連記事】

コメント

タイトルとURLをコピーしました