そんな方向けの記事です。
「若いうちは蓄財ばかりしてないで、経験に投資するべきだ」
あなたはこんな意見を目にしたことはないでしょうか?
Twitterをやっていると定期的に見かける意見で、賛同する方も多いように見受けられます。
なんだか説得力がありそうな雰囲気を感じますが、よくよく考えてみると、「経験に投資」という部分がどうもフワッとしいて釈然としません。
一体、「経験に投資」とは何を指している言葉なのでしょうか?
そもそも、蓄財(FIRE活動)と相反する行為なのでしょうか?
本記事では
- 「経験に投資」とは何を指すのか
- FIRE活動と相反するものなのか
について考えてみようと思います。
「経験に投資」とは何か?

「経験」と「投資」という言葉を分けて考えてみます。
経験とは?
まずは辞書的な意味を調べてみましょう。
辞書によると、「経験」は大きく2つの意味に分けられます。
- 実際に、見たり、聞いたり、行ったりすること
- 感覚や知覚によって直接与えられるもの
「経験」というワードを聞いたとき、99.9%の人が①をイメージすると思われます。
②は哲学の分野で用いられた場合の意味であるため、本記事では該当しません。
よって、①の「実際に、見たり、聞いたり、行ったりすること」で話を進めることにします。
投資とは?
こちらもまずは辞書的な意味から。
- 利益を得る目的で、事業・不動産・証券などに資金を投下すること
- 将来を見込んで金銭や力を注ぎ込むこと
- 資産ストックの増加分(経済学用語)
①、②極普通に使われている意味合いかと思われます。
③は経済に明るい方は使われるのでしょうか。あまり馴染みがないように思います。
「経験に投資」と言う場合、②「将来を見込んで金銭や力を注ぎ込むこと」意味で使われていると考えるのが自然です。
経験に投資とは?
ここまでをまとめると、辞書的に解釈した「経験に投資」とは
将来を見込んで金銭や力を注ぎこみ、実際に見たり、聞いたり、行ったりすること
となります。
ここからは私の推察です。
「経験に投資」と言う場合、その多くは「蓄財」と比較して述べられることが多いようです。
このことから判断するに、「経験に投資」は「お金を使うこと」が前提であり、お金を使わないで何かを見たり、聞いたり、行ったりすることは「投資」に該当しないと思われます。
お金を使って何かを行い、将来のリターンを狙うわけですが、「若いうちは貯蓄より〜」と主張している人が狙っているリターン(目的)は、2種類あると推察します。
- 人的資本
- 思い出の配当
1つは「人的資本」です。
いわゆる「稼ぐ力」のことで、労働によって将来得られるお金を増やすことがゴールになります。
もう1つは「思い出の配当」です。
思い出の配当とは「DIE WITH ZERO」に出てくるワードで、「残りの人生、思い出が配当のように喜びや幸せをもたらしてくれる」という意味合いです。
人生でしなければならない一番大切な仕事は、思い出づくりです。最後に残るのは、結局それだけなのですから
金を払って得られるのは、その経験だけではない。その経験が残りの人生でもたらす喜び、つまり記憶の配当も含まれているのだ
出典:Bill Perkins 2020年『DIE WITH ZERO』ダイヤモンド社
将来何かしらの利益を生むことを期待しているのではなく、思い出により人生を豊かにすることがゴールになります。
ここまでをまとめると、「若いうちは蓄財ばかりしてないで、経験に投資するべきだ」という主張は
「蓄財ばかりしていると、人的資本は大きくできないし、思い出の配当も得られないぞ」
という意味に解釈できます。
FIRE活動と相反するのか?

論点は
です。
蓄財(FIRE活動)の方法が、「ひたすらお金を使わず、土日はYouTubeを見るだけで他は何もしない」とかであれば、確かに人的資本も思い出の配当も大きくできないかもしれません。
この二つを大きくするためには、現在の行動が何かしら将来に結びついている必要があり、結びつかせる計画が必要だと考えます。
計画がない場合、長期的目線を持つことができず、場当たり的な行動になりかねません。
要は、将来から逆算した行動が取れているかが鍵になるわけです。
また、「お金をかければかけるほど、人的資本と思い出の配当が大きくなる」と言えるほど、単純なものではないと考えます。
そのように考えると、お金をかけることによって得られるものは選択肢の幅でしかないように思われます。
かけられるお金が少なければ少ないほど選択肢は狭まりますが、それでも選択肢はあり、将来から逆算した行動を取れるかどうかにはあまり関係がありません。
つまり、選択肢の幅が狭くても(お金をさほどかけなくても)、「人的資本」と「思い出の配当」を大きくできなくはない、と思われます。
言うまでもなく、お金をかけたほうが選択肢の幅が広がるので、「人的資本」と「思い出の配当」をより大きくできる可能性が高いです。
しかし、最も重要なことは「深く考えて行動しているかどうか」だと私は考えます。
持っている選択肢の中から、「どのようにすれば人的資本を大きくできるか」を考え、「(自分にとって)思い出の配当をもたらすものは何か」を明確にするが何より大切です。
いくら選択肢があっても、あまり考えもせず「経験に投資」していては得られるものも得られないでしょう。
選択肢の幅は(人的資本と思い出の配当における)重要度としては二の次だと思うのですが、いかがでしょう。
結論
「FIRE活動」と「経験に投資」が相反するかどうかは、その人のやり方次第
が本記事の結論です。
「蓄財ばかりしていると、人的資本は大きくできないし、思い出の配当も得られないぞ」
に対する私の感想は
「そのような傾向はあるかもしれないけど、一概には言えないよね」
となります。
(結論というにはあまりに面白くないですね、、、)
まとめ
ここまで
「若いうちは蓄財ばかりしてないで、経験に投資するべきだ」
に対する考えを述べてきました。
FIREを目指すとなると、経験に使えるお金は限られ、選択肢の幅は狭まります。
それを理解しつつ、戦略的に人生を進められるのであれば、選択肢の幅はさほど問題にならないと考えます。
周りと違った極端な生き方を目指すのであれば、人よりも深く考えて、考えて、考え尽くすことが、納得のいく人生に繋がるかと。
以上、終わりです。
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